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なくてななほし

挙動が怪しい創作者の覚書きブログ。3Lためらいなく出てくるので苦手な方はご注意。下書きカテゴリは投稿サイトにアップしたら削除しています。

七星ワイド劇場
ハンドアウト・メサイア第2話「女教皇の弟」がラストまで公開されたので振り返りです。
続きから本文。

前にもちらっと書きましたが、今回のテーマと言うか救済の対象はワークライフバランスのままならない女性です。
ハンドアウトメサイアは主に「救いたい」と思ってる奴の方の視点で描いているのでマジで困ってる人の話はそこまでメインで据えられないのですが、なんと言うかやはりお節介を焼くからにはそこには困りごとがあると言うことになってしまうんですよね。
このシリーズ書き始めた時は、そう言うことはさほど意図してはおらず、単純に宇宙からの乗っ取り人怖ホラーみたいなノリで始めてたんですけど、「天啓」を受けて暴走してしまう「メサイア」たちにもやはり暴走の触媒のような記憶、思い、こだわりのようなものはあるはずで、そうすると「救済者」かその周囲に困りごとがある、あるいはかつてあったと考えるのが自然なんですね。

前日譚と第1話では労働環境の話でワークライフバランスのワークの方で疲弊した人の話をやり、今回はワークライフバランスのライフに蝕まれる話をやったことになります。
やはり社会の中で生きている以上、「誰かの困りごと」とは無縁ではいられず、人は自分のことだけ考えていられない、ということを実感しました。
虚構と現実の区別とは言いますが、虚構は現実を反映し、その虚構に何かしらの感情を抱く私たちとの境界は明瞭なものではないとも思います。
虚構と現実の区別とは、逐一私たちが自覚を持って引いていくもので、習得すれば勝手に引かれるものではないとも考えます。

そして「やばそうに見える人にも事情がある」と、「迷惑を被ってる人には怒る資格がある」は両立するので、誰に味方するか、誰の肩を持つか、誰に寄り添うかに正解はないとも思ってます。

ということで次回は物語を作ること、そこで物語を書く、あるいは読む実在の人に思いを馳せつつ、自分の有用性に悩む神林くんにスポットが当たる……予定です!

さて、今回のラストシーン、実は天啓もちだった山中さんをテータが受診させて発覚し、国成さんが「どうやったの?」って聞き出そうとするシーンなんですが、あれするっと出てきたけど、よく考えると往年の土曜ワイド劇場を彷彿とさせるな……って後で思いました。

割と演出と言うかオチについては2時間ドラマ風になりがちかもしれない。

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