と言うかそもそもキングの「ミザリー」がかなりすごい小説でめちゃくちゃ面白かったんですが、じゃあ参考になったかと言うとシチュエーション全然違いすぎたのでミザリーのオマージュみたいなことはできませんでした。
ただ、「物語が思い通りに進まない」読者の苛立ちや孤独感、その不満に対する作家が抱く警戒心の様なものについては、私がここまでの創作人生で見聞きしたこと、あるいは自分でも感じたことと近いと感じました。古今東西あることなのかもしれませんね……。
HO3の椎木さんは「天啓」がなくても思い込みが激しい人物として描かれるんですが、私も十代のときこんなだったな……って思っちゃいましたね。
昔の自分を丁寧に埋めていくような気分でした。
HO4は「あなたは病気に違いない」ってもっとしつこく迫ってくる感じの描写にしようと思ったんですが、ストーリー全体のまとめに向けて情報を出すフェーズになってしまい、思ったよりも友藤さんの「天啓を受けた」感がなくなってしまったと言うか普通にただのお節介になってしまった感は否めないですね。
テータの同僚、五百蔵イオタが登場しますがこの人はまた後でメインを張る予定です。
HO5は最近よく出てくる漫画の広告に着想を得て、「友達から彼氏を奪いまくる女」の話にして、HO6、7の2話構成でイオタと対決、HO8で当初から構想があった話をやってHO9、10の2話で完結……かなぁ。2話にできるかわからないんで全8話になる可能性もあるけど。
キャラクターにはそれぞれの思惑、悩み、価値観があって、皆それに従って生きている。大枠としては常識に従いますが、常識の範囲で、「信念」のレベルだとそれぞれあるんだと思います。
そういう話が書けるようになりました。ここまで来るのにずいぶんかかりましたが、ここまで来られて良かった。
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